マインドフルネスで出てくる概念の中に、「することモード」と「あることモード」というものがあります。「することモード」は問題解決型であり、「あることモードは」は現状受容型です。通常、問題が発生すると、論理的思考により原因を特定し、より期待値の高い打ち手をうつことにより、問題を取り除くことが普通です。通常の仕事においては、そのような思考方法が求められます。しかし、個人の力では問題を解決できない状況も数多く存在し、その場合、「することモード」により解決を探ることは、自分の無力感を覚えることになり、より一層ストレスを募らせることになります。また、問題解決が可能である自分の外部に存在する問題ではなく、何かよくわからないが不安が募る、といったような、問題の所在がわからない内面の問題に対処する場合は、「することモード」により対処すると、より迷いが深くなり、傷口を広げることがあります。これに代わる心の有り方として存在するのが「あることモード」です。「あることモード」においては、不快感を遠ざけようとせず、ありのままに感じます。不快感と共存します。
例えば、何か落ち着かない、不安感、物足りなさがある、という理由で、飲酒や過度な食事などに走るケースがあります。その時は不快感を払しょくするのに役立ちますが、時間がたつと、その不快感はより大きくなります。ストレス発散のためにお酒を飲むことにより、翌朝自分自身に対して批判的になった経験はないでしょうか。つまり、不快感を取り除こうとする行為は、逆に不快感を増してしまうことがあるということです。
このようなケースで試していただきたいのが「あることモード」です。不快感がおこるとき、それをそのまま観察します。「自分は落ち着いていないのだ」「自分は不安に思っているのだ」「自分は物足りないのだ」とそのまま受け入れます。私たちは正体が見えないがゆえに不快感を過度に恐れますが、一度光を当ててしまうと、そんなに恐れることはないものだとわかります。
別の例として、日々の仕事に対して、不安が大きい場合を上げてみます。その場合、この仕事が片付けば自分はストレスから解放される、と考えます。しかし、実際には、仕事は次から次に湧いてくるため、「仕事を片付けたら解放される」ではいつまでたっても状況は改善しません。この場合、不安に対する対処の仕方自体を変えるしかありません。仕事が残っている今でもできる心の有り方にモードを変えるのです。
「することモード」「あることモード」はどちらが良い、悪いというものではありません。その時々で、適切な心的態度をとればよいのです。通常、私たちは問題解決型思考である「することモード」でいることが多く、これを日常生活のすべての場面に自動的に適用するため、本来「あることモード」であるべきときにギャップが生じ、不快感を増大させることになります。
それでも「あることモード」で不快感と付き合うのは辛い、という方もいらっしゃるでしょう。これに対する一つの助けとして、慈悲(思いやり)の態度がありますが、これについては改めてご説明します。